殿の虫眼鏡

本企画展の公式Instagramで好評連載中の「殿の虫眼鏡」

展示品の一部を拡大して紹介・解説するという手法で、読んだ方々からは「展示品の全体もじっくり見たい!」という声が続出です。

このページでは、過去Instagramに載せた「殿の虫眼鏡」の投稿をまとめてみました。

一度見た方々も、違った視点から楽しく読めます。きっともう一度見たくなる!

やられた…のか?

甲冑の名称には「威(おどし)」という言葉が入っています。おどしとは「緒通し」。鉄や革で作った小さな板・小札(こざね)を横に重ねて漆で固めたパーツを緒(紐)で繋ぐことです。赤い緒で繋いでいる甲冑は「赤糸威」。さまざまな色の糸で繋いでいれば「色々威」です。
紅・白・紅・藍と色を変えて繋いだこちらの甲冑は「色々威腹巻」。紅の華やかさを藍が引き締めて、絶妙な色バランスが美しさを生み出しています。バカボンのパパがいつもお腹に巻いているのも腹巻ですが、こちらは甲冑の一種。背中から体を入れて引き合わせて着用するもので、比較的軽く動きやすいつくりです。
ふと見ると胸のあたり、紅色の威毛に穴が一つ。この穴は一体?????色んなことを想像してしまう穴を持つ、色も姿形も美しい室町時代の腹巻です。

岡山県指定重要文化財「色々威腹巻」<部分>(林原美術館蔵)*後期展示

見所の見立て

備前焼の見所は色々ありますが、「火襷(緋襷)」はその代表的なものですね。表面にできた緋色の線。窯のなかで器同士がつかないように藁を巻いて焼くと、藁の成分と素地の鉄分などが作用し、藁があたったところが赤く発色します。緋色の襷(たすき)のように見えることがその名の由来です。
備前の茶入「雷神」にはまた見事な火襷が。雷神の稲妻に見立てられ名付けられたのも頷けます。可愛らしさも感じるぽってりした器形とともにご堪能ください。
雷神より400年を経て、現代の備前焼の作り手による品々を名君の大名文化展のショップでご紹介しています。今に繋がる技と美。皆さんの暮らしの中にもいかがでしょうか。

「火襷茶入 銘 雷神」<部分>(林原美術館蔵)*後期展示

波の下の都へ

船上の女房たちと尼、そして小さな子。女房たちは袖で涙を拭っています。尼が子どもを慰めています。『平家物語』の中でも最も読者の涙を誘う安徳天皇の入水の場面。
源氏に追い詰められた平氏はいよいよ滅亡の時を迎え、一門は次々と海に飛び込んでいきました。この尼は平清盛の妻徳子、小さな子どもがその孫の安徳天皇です。「どこに行くの」と尋ねる帝に「波の下にも都の候ふぞ」と答え、二人は海に沈んでいきました。

「平家物語絵巻」(林原美術館蔵)

鬘帯(かずらおび)あれこれ

白地に刺繍と箔で梅花と松葉。背景には金箔で檜垣風に。
朱地に色とりどりの刺繍で4枚の葉を組み合わせた文様。アクセントとなっている周りの金箔。青地に金で織り出した葵の紋。周囲にはさまざまな宝を散らした宝尽くし。これらはいずれも能装束の小物の一つ、「鬘帯」の一部です。その名の通り、鬘、髪を抑えるように頭を縛る帯。女性の役で使われ、髪に役柄に応じた雰囲気を添えます。
林原美術館では、旧池田家所蔵の鬘帯を多数所蔵しています。本当にたくさん、お持ちなんです。本展では、その中から学芸員が悩みに悩んで(楽しい悩みでもありました)、これぞという16本をお借りしました。後期にお出ししている8本も、いずれもため息をつくような見事な美しさです。帯の細い場面に、能装束ならではの「織」「箔」「刺繍(縫)」を組み合わせて描き出す雅な世界。覗き込めるケースに展示しておりますので、近くでご堪能ください。

「鬘帯」<部分>(林原美術館蔵)*後期展示

なんとなくオリエンタル

模様の雰囲気と言いましょうか。デザインに日本ではない東洋風を感じます。こちらの能装束、中国の明(1368-1644)で作られた生地を使っています。
肩から腰にかけて草花などの文様を箔で描いた黒色の半円が散らされていますが、半円の下半分は独特の切り取り方がされ、そこに花などが刺繍で表されています。その刺繍の色調も独特の暗さ。ここには見えませんが裾には奇妙な山形に桜もあり、全体的になんとなく異国風なのです。
林原美術館の谷一館長によると、池田家では貴重な小袖を能装束に仕立て直すことで、長く大切に保管されるようにしていたのではないかとのこと。こちらも池田家の女性が着ていた舶来の珍しい小袖だったようです。

重要文化財「能装束 紅地山桜円文蔓草模様縫箔」<部分>(林原美術館蔵)*後期展示

茎(なかご)あれこれ

茎とは、中子、中心。刀の芯となる部分です。茎は最後に整えられ、茎と柄を止める「目釘(めくぎ)」の穴をあけ、銘を彫って完成です。形、尻の仕上げ方などに時代や流派の個性が出る、刀の見どころの一つです。
こちらの太刀の茎。太刀ならではの長い形は姿良く、良い塩梅に錆がついています。手入れの際に直接握る茎には長年の人の手の脂によって黒い錆がつきます。良い黒錆は刀の歴史の証でもあるのです。
銘は「備前国長船住左近衛将監長光造」。長い年月の間に摩耗し読みにくくはありますが、目釘穴の二つ目下に「備前国」とあるのは読めますでしょうか。茎に彫られた「長光」の文字は、江戸時代には「来国光」と並んで縁起が良い銘としてもてはやされました。「ご威光が長く光りますように」との祈りをこめて、将軍家や大名家の代替わりの贈答品の筆頭にあげられたといいます。

国宝「太刀 銘 備前国長船住左近衛将監長光造」<部分>(林原美術館蔵)*後期展示

何にみえますか?

この溝、なんだと思いますか?茶葉を粉にした抹茶を入れる茶道具「茶入」の蓋にあるこの溝。お茶の世界では「巣」と言って珍重します。
今のご時世ですとなかなか難しいですが、茶入の蓋は象牙で作られ、白く傷のない蓋も好まれましたが、一方で当初からの傷や色を「巣」や「虫食い」に見立てて景色(見どころ)と捉えたのです。
暴れん坊将軍こと(違います)8代将軍徳川吉宗に仕え、享保の改革に尽力した大名・松平和泉守乗邑(まつだいらいずみのかみのりさと)愛用の茶入「淀」の蓋の「巣」は、大振りな茶入に見合うように存在感たっぷり。茶入と合わせて、蓋や茶入に合わせてあつらえる「仕覆(しふく)」という袋などの道具にもご注目ください。

「肩衡茶入 銘 淀」<部分>(林原美術館蔵)

ん…色っぽい

なんとも色っぽいと思ってしまうのです。
品のある赤い唇。ほどよい厚みと美しい形です。その半開きの間からはお歯黒で染めた歯が誘うように覗いています。
この悩ましくも美しい口元をお持ちなのは「宝増」という名の能面です。増女という種類の面で最も品位ある表情を示し、天女や女神の役で用いられます。
天女様や女神様の美しさに迷い、色香を感じてしまうのは、人間の煩悩ゆえでしょうか。
岡山藩主池田家旧蔵。

「能面 増女 銘 宝増」<部分>(林原美術館蔵)*後期展示

黒髪の美女

見てください、この繊細な描写。頬に垂れる黒髪は一本一本丁寧に描かれ、目元、口元も実に繊細。
筆者の土佐光起は土佐派の中興の祖と言われた人物です。父光則譲りの細密描写の腕をフルに発揮しています。
この手鑑には百人一首の歌人が描かれていますが、歌は書かれていません。確証はないのですが、この女房の上には関所らしき風景が描かれており、「夜をこめて鳥の空音は謀るともよに逢坂の関は許さじ」と詠んだ清少納言なのかもしれません。

「百人一首手鑑(てかがみ)」土佐光起筆(林原美術館蔵)

つま先がピっ

玉堂の山水図の特徴の一つが人物にも見られます。「仙渓訪友図」で見て見ましょう。画面の左側には湖水と渓流が描かれ、涼やかな空気が感じられます。画面手前の流れには橋が架けられ、そこを一人の人物が渡っています。
玉堂画には橋を渡る人物が頻繁に登場します。ふっくら体型で腰をかがめ大きな笠を被って杖を引いています。よく見るとつま先はピッと跳ね上がっています。この何気ない表現がこの人物に生気を与えているのです。

「仙渓訪友図」浦上玉堂筆(岡山県立美術館蔵)※後期展示

べしむ!

口をぎゅっと一文字に結んで力を入れることを「べしむ」と言うのだそうです。こちらの「むん!」と口を結んでいるお方もみ見事に「べしん」でいらっしゃいます。ふさふさくるくるな髭も力が入って揺れていそう。べしむ様子から名前がついている「癋見(べしみ)」面は、天狗や鬼などの役に使われます。
この「長霊癋見」は、熊坂長範(くまさかちょうはん)という盗賊の亡霊の役で使う能面。平安時代の終わり頃、京都から奥州平泉に向かう商人・金売吉次を襲い、一緒にいた牛若丸、後の源義経に討ち取られた大盗賊です。能の「熊坂」という演目で、旅の僧の前に現れた熊坂長範の亡霊は、牛若丸に倒されたことを話し、弔ってくれるように頼みます。ぎゅっと「べしむ」口元は生きていた頃の強面ぶりの現れでしょうか。

「能面 長霊癋見」(林原美術館蔵)*後期展示

謎の白丸

玉堂の山水図には不思議な表現が多い。その一つが山頂やところどころにある白く丸い空白です。開けた平地?それとも…。
「疎松曲水図」にも三ヶ所に謎の白丸があります。画面手前の人家の脇、遠く盛り上がる山の頂、そしてもう一ヶ所、山々の谷に当たる部分。よく見るとそこには小さな帆かけ舟。舟を操る船頭も見えます。
どうやらこの白丸は湖水のようです。画面下方に描かれた島を浮かべる水の源流を暗示しているのでしょうか。

「疎松曲水図」浦上玉堂筆(岡山県立美術館蔵)※後期展示

隠してあらわす

『源氏物語』を屏風に描いたこの作品には驚くほど細かい描写が見られます。平安時代、紫式部によって書かれた長編小説『源氏物語』は、平安時代の終わり頃に描かれた国宝の「源氏物語絵巻」をはじめ、江戸時代でも盛んに描かれ続けました。
絵の各所で活躍するのが御簾(みす)、高級なすだれです。華やかな衣装に身を包んだ女房たちの姿をそっと隠します。衣装の描写に負けない御簾の線にもご注目を。

「源氏物語図屏風」(林原美術館蔵)※後期展示

江戸時代のハイジュエリー

ご覧ください。この圧倒的な存在感。鐔(つば)。刀を手で握る柄の目貫(めぬき)。柄の両端の縁(ふち)と頭(かしら)。小さなナイフのような小柄(こづか)。耳かきのような先がある笄(こうがい)。拵(こしらえ)の金具を藤の花のデザインで統一し、藤の高貴さと金の豪華さを嫌味なく上品にまとめている表現力と技術の高さ。
江戸時代の金工の名手といえばこの人、後藤一乗が手がけたものです。純度の高い金を使い当代一流の作り手が手がけたこの拵は、もはや宝飾品。間違いなく江戸時代のハイジュエリーです。金無垢であるがゆえに、小さいのにずっしりと重いんですよ。 

「黒漆塗藤花図金螺鈿蒔絵刻鞘小さ刀拵」<部分>(林原美術館蔵)*後期展示

ハイブリッド!

大小、三角四角の金箔が散りばめられた華やかな紙にピカピカ輝く金属板。これは何でしょう。「柳橋水車図」という屏風の一部です。
柳の葉が揺れる川にかかる太鼓橋。そこには金属板の月がはめこまれています。まさに工芸の手法と屏風という絵画の形式が融合した作品です。 

「柳橋水車図屏風」(林原美術館蔵)※後期展示

粋ですね

浦上玉堂の作品にはとてもおしゃれな表装を着せられた作品があります。
「幽渓散歩図」はピンクの蝋箋と更紗で装われています。裏に板木を置き表から擦って模様をつけた紙が蝋箋。更紗はインド、東南アジアが起源の唐草模様の染物。エキゾチックな表装が作品を一層引き立たせます。

「幽渓散歩図」浦上玉堂筆(岡山県立美術館蔵)※後期展示

鋒(きっさき)あれこれ

言葉の切先鋭く攻められるのも、話の切先が丸すぎてイライラするのも困りものですが、人の例えならず、本来の刀の切先(鋒)の姿の様々は、刀剣の見どころの一つです。
加賀藩主だった前田家旧蔵のこちらの刀。鋒は小さめ。鋒に近い方の刃文が直線の直刃(すぐは)であることもあり、涼やかな凜とした印象を与えます。全体の姿もなかなかのお美しさです。
平安時代後期から鎌倉時代前期に造られた、古備前派の刀工・近包(ちかかね)の作。

重要文化財「太刀 銘 近包(たち めい ちかかね)」<部分>(林原美術館蔵)*前期展示

お見事!

はっしと射た矢は的の扇に見事命中、おおーと沸き起こる大歓声。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」、誰もが知っている日本古典文学の代表作『平家物語』の数々の名場面の中でも屋島の戦いでの那須与一の活躍は特に有名。平家方がこれを射てみよとかざした扇を与一は射落とし、敵味方からの喝采に戦場は包まれました。

「平家物語絵巻」(林原美術館蔵)*前期・後期で場面を替えます

真の主役

絢爛豪華な能装束が並ぶ展示室でも目を引くこのデザイン。水色と紅がかった金茶の幅広の縞の間に白を細めに挟みこむ絶妙なバランスで構成されています。対照的な色の組み合わせと間に入った白がとても効果的です。
さらにグッと近寄ってみると、華やかな縞に隠れるように織り出された桐唐草が全体を覆っていることがわかります。一見シンプルに見えるデザインに複雑さを与えている桐唐草。この能装束の真の主役かもしれません。

「能装束 段桐唐草文厚板」(林原美術館蔵)*前期展示

笑う蝶?

「名君の大名文化」の案内役にもなっている池田光政の纏(まとい)の蝶紋は、射抜かれそうに大きく目を開いています。ところがこちらの蝶は。にっこり笑っているようにも、目を閉じているようにも見えます。見ている私たちも微笑んでしまいそうなユーモラスな表情ですね。
「花菱揚羽蝶蒔絵調度 黒棚」には、中央に花を描いた花菱で全体を敷き詰められ、ところどころに池田家の紋である蝶を蒔絵で描いています。こんな楽しい蝶が描かれた調度は、空間を和ませてくれそうですね。


「花菱揚羽蝶蒔絵調度 黒棚」(林原美術館蔵)*前期展示

フォーマルの極み

刀の刃を上むきに腰に差す打刀(うちがたな)が主流になった江戸時代でも、大名は儀式の時には太刀を腰から下げました。大名家ゆかりの太刀拵は今も数多く残っています。こちらの糸巻太刀拵もそのような中の一つでしょう。
柄の先端、頭(かしら)と呼ばれる金具の金の桐紋の端正さ。黒い赤銅地の魚々子(ななこ)と呼ばれる丸の連続紋の精密さ。破綻ない美しさは大名のフォーマルならではのハイクオリティぶりです。

「金梨子地家紋蒔絵鞘糸巻太刀拵」(林原美術館蔵)*前期展示

まさに神技

ここに描かれているのは中国北宋時代の都・開封を流れる川沿いの賑わいです。と言っても写真の部分はまだ冒頭。ほんの一部です。その細かい描写はまさに神技。迫真の描写は人気を集め数々の模本が作られました。
この作品もその一つ、ですが模本と言ってもやはり神技。みなさんの目はどこまで見つめることができるでしょう。

重要文化財「清明上河図 趙浙筆」<部分>(林原美術館蔵)*前後期で場面が変わります

組み合わせの妙

楽しそうにじゃれあう獅子。百獣の王としてあるいは文殊菩薩の使いとして威厳ある姿で描かれることの多い獅子もこうしてネコ科?と思わせるそぶりになると可愛いですね。こちらは名刀にして「名君の大名文化」展のメインビジュアルでもある「九鬼正宗」の拵(こしら)えの目貫(めぬき)です。目貫とは、刀の茎(なかご)と手で握る柄をつなぐ目釘(めくぎ)の両端につけるものですが、役割を超えて柄を飾る華やかさや細工の秀逸さが目を引きます。九鬼正宗の拵えにあえて愛らしい獅子を合わせたセンスがにくいですね。

「金梨子地葵紋散鞘合口短刀拵」(林原美術館蔵)*前期展示

見よこのボリューム

日本の絵画はさまざまなかたちをしています。壁にかける額、床の間を飾る掛け軸、普段は折り畳まれていて、開くと大きな画面になる屏風、長い巻物。一枚一枚の絵を台紙に貼って、アルバムのように綴じたものを画帖と言います。
百人一首の歌人を集めたこの画帖、すごい厚さです。開いて見るのは大変ですが、なんとも豪華です。

「百人一首手鑑」(林原美術館蔵)

本を読む人

「山澗読易」難しい題名ですが、山間の渓流の近くで『易経』という本を読むという意味です。『易経』は中国古代の書物で、占いをもとに自然と人間の関わりを考える内容です。大自然に包まれて自分のことを考える。そんな時間が大切ですね。
さて、本を読む人はどこに描かれているのでしょう。見つけたあなたはもう玉堂の友人です。

浦上玉堂「山澗読易図」(林原美術館蔵)*前期展示

桃山の気配

刺繍がたっぷりとした印象を与えるのは、裏に糸を通さない渡縫(裏抜き)という方法で縫ってあるから。桃山時代の小袖に多用される縫い方です。刺繍糸の柔らかな色合いや地に貼られた金箔から、おおらかで華やかな感じがしますよね。
桃山時代は、戦国の世が終わり平和を喜び楽しむ人々のエネルギーが輝いた時代。着物にもそんな時代性が出ているのでしょう。池田家では桃山時代の着物を能装束に仕立て大切に保管・活用してきました。能装束から桃山時代の気配が伝わります。

重要文化財「能装束 菊橘文縫箔」<部分>(林原美術館蔵)*前期展示

美人の中は

目元美人、えくぼ美人、うなじ美人。美人には色々ありますが、こちらはさしずめ「おでこ美人」でしょうか。ほどよくふっくらしたおでこに、品良く描かれた柔らかな眉。そのお顔は果たしでどんな美しさか。そそられます。
「春像(しゅんぞう)」という名のこの美人、岡山藩2代藩主池田綱政愛用の能面です。5代将軍徳川綱吉の前で綱政が「野宮」という光源氏と六条御息所の物語を演じた時にも着用したそうです。美人の中は実は殿。きっと女心がわかる殿だったのでしょうね。

「能面 小面 銘 春像」<部分>(林原美術館蔵)*前期展示

あれ、ここにも福島が!

「坤輿万国全図」難しい名前ですが、坤は大地、輿は乗り物の意味です。大地の乗り物、そう地球のことなんです。
江戸時代の日本に当時の中国で作られた最新の地図が伝わりましたが、それを美しい屏風にして池田家の殿様は部屋を飾りました。
そしてなんと日本から遠く離れたところに福島が!
会場でぜひ探してみてください。

岡山県指定重要文化財「坤輿万国全図」(林原美術館蔵)

戦場の美意識

美しい紺糸ですね。品のある藍が潔さを感じさせます。
甲冑は、漆でコーティングした革や鉄の小さなパーツを紐で繋いで作っています。漆の色や装飾方法、紐の色や組み合わせ方で、甲冑の印象はガラリと変わります。
命のやりとりをする戦場で身にまとうものだからこそ、武将たちは己の美意識で甲冑をあつらえ、戦へ向かう心持ちや祈りを表現したのでしょう。
可憐な枝菊の金の飾りは、延命の願いを添えています。

重要文化財「紺糸威胴丸」<部分>(林原美術館蔵)*前期展示

ジュエリーな葵の御紋

「この御紋が目に入らぬか」という台詞が聞こえてきそうな葵の御紋ですが、こちらの葵紋の品の持ち主は殿ではなく姫。
徳川将軍家の養女となり公家の一条家に嫁いだ池田光政の次女・輝姫の婚礼調度の一部です。三つ葉葵の葉一枚ずつを蒔絵の金属粉を変えて色分けした金と銀が煌めく存在感ある仕上がり。姫の持参品はさすがのジュエリー感です。葵紋の周囲では、数匹の獅子が牡丹が咲き乱れる中で遊ぶ様が描かれています。

重要文化財「綾杉地獅子牡丹蒔絵婚礼調度 貝桶」<部分>(林原美術館蔵)*前期展示